ロマンティック中欧・ドイツ3ヶ国周遊8日間ウィーン【シェーンブルン宮殿】6日目
「シェーンブルン宮殿と庭園群」として1996年に世界遺産に登録されました。ここは、ナポレオンの占領やウィーン会議などの歴史舞台となった場所。
シェーンブルン宮殿とは(世界遺産)
シェーンブルン宮殿はオーストリアの首都ウィーンにある宮殿。ハプスブルク家の歴代君主が、夏の離宮として使用していました。「フランスのベルサイユ宮殿に匹敵する宮殿を」として建設をスタートさせたのです。
マリア・テレジア女帝、フランツ・ヨーゼフ皇帝、エリザベート皇妃がこの宮殿で暮らしました。 シェーンブルン宮殿は、ヨーロッパで最も美しいバロック建築です。
宮殿の中には、全部で1441室の部屋があり、約1000人の侍従や使用人が住み、 彼らのために、139もの調理場がありました。 部屋の多くは、ロココ様式で装飾されています。
シェーンブルン宮殿、入場
入場👏
この門をくぐるとシェーンブルン宮殿!さて、どんな宮殿なのでしょうか?
ちなみに宮殿内は撮影🆗なので、バシバシ撮りますよ!(今までは撮影NGだったそう)
外観はバロック建築。
部屋の多くはロココ様式です。では、宮殿内に入ります👣
バロック建築とは…雄大な見通し、複雑で立体的な構成、曲線と曲面の使用、光の演出、奥行きの強調などを重視し、演劇的な性格が強い。 バロック建築の多くは、聖堂や大貴族の宮殿や邸宅といった大型の建造物で、室内は彫刻や絵画で広がりを演出し、天井は浅い曲面という特徴があります。
女帝マリア・テレジアと皇帝フランツ1世がお出迎え
入口から階段を上がると踊り場に2枚の肖像画!こちらは、女帝マリア・テレジア。
彼女は、ハプスブルク家を継承し、オーストリア継承戦争や七年戦争で戦ったことが有名。オーストリア帝国の中央集権化を図るなど、女帝としてオーストリアを統治しました。彼女の15番目の子が、「パンがなければ、お菓子を食べれば良いじゃない」と発言し、フランツ革命の引金となった「マリー・アントワネット」です。
15番目?!
このお方は、マリア・テレジアの夫、フランツ1世、神聖ローマ皇帝です!
どんどん歩くと天井のフレスコ画が目を引きます!
ヴィース教会の大天井画のようです✨
大ギャラリー
こちらは大ギャラリー。オフホワイトの壁に金箔の漆喰装飾。
皇室主催の舞踏会やレセプションに使用された長さ43m、幅10mの大広間。「会議は踊る」と揶揄された1814年のウィーン会議や、1961年には米国のケネディとソ連のフルシチョフによる東西首脳会議の舞台ともなりました。
クリスタル製シャンデリアが引き立ちます。
ハプスブルク王朝の繁栄を身に沁みて感じます。
式典の間
「式典の間」は家族の誕生祝いや結婚パーティなど親族の祝宴に使用された部屋。マリア・テレジアの長男、ヨーゼフ皇太子の結婚式の様子を描いた絵画が5枚並んでいます。
中央の絵画は、宮廷画家マルティン・ファン・マイテンスが等身大のマリア・テレジアを描いた肖像画。右側はオペラ上映のシーンを描いた絵画。左側は結婚式を描いた絵画です。
最前列にオペラを見学するマリア・テレジアの家族が座っています。右下に目を向けると四角いガラスで覆った部分、ここに幼い日のモーツァルトが描かれています!
実際には、結婚式が行われた1760年はモーツァルトはまだ4歳でウィーンを訪れておらず、2年後の1762年に「鏡の間」で6歳の時に御前演奏を行っています。この絵が描かれたのは後年になってからなので、すでに神童として名が知られていた少年モーツァルトが加えられたのです。
6歳で皇帝の前で演奏?
四角いガラスケースの中の一番前、2人の男性の間にいる子どもがモーツァルトです🎻
演奏後に女帝の膝に飛び乗って何度もキスをしたとか、滑って転んでしまった時に、手を取って助けたマリー・アントワネットに「大きくなったらぼくのお嫁さんにしてあげる。」と言ったとか、有名なエピソードが残っています!
花嫁が94台の馬車行列を連ねてウィーンの王宮に到着した場面を描いた絵画
王宮で開催された昼の正餐会の場面
夜の晩餐会の場面
絢爛豪華な結婚式~❦
楕円形の中国の小部屋
こちらは「楕円形の中国の小部屋」でロココ様式。白い板壁に大小様々な漆塗りのプレートで覆われ、中国の美術品で装飾されています。中央にある絵は羊飼いに仮装したマリア・テレジアの肖像画です。
ロココ様式とは…ロココ様式の建築は、曲線を多用する繊細な装飾であるロカイユ装飾が天井周りに多く使われ、壁と天井の境界が明確でなくなるのがロココ様式の特徴です。
陶磁器の間
マリア・テレジア一家が手掛けた陶磁器で飾られています
百万の間
こちらは「百万の間」。宮殿で最も高価な部屋。
室内装飾に当時100万グルデンの費用がかかり、この名がついたそう!白い胸像は、ルイ15世からマリア・テレジアに贈られたマリー・アントワネットです。
紫檀を壁全面に使用しているため、内装費用が莫大だったそう。紫檀にはインド・ペルシャの細密画を嵌め込み異国情緒を演出しています!
ゴブランの間
18世紀にブリュッセルで製作されたゴブラン織りのタペストリーが飾られています。タペストリーには、アントワープの市場と港が織り出されています。
象嵌細工の床に置かれた6脚の椅子の背もたれとクッションもゴブラン織りで12ヶ月を表す陽気なシーンが織り込まれています。
夏に本来の寝室が暑いと、女帝のベッドを置き臨時の寝室として使われていたそうですよ!
ゾフィー大公妃の書斎
フランツ・ヨーゼフ皇帝の母「ゾフィー大公妃の書斎」です。
漆の間
中国渡来の漆と金箔が美しい「漆の間」。マリア・テレジアの夫、皇帝フランツ1世の執務室であった部屋です。漆板には日本の風景が描かれています。
「漆の間」はフランツ1世の死後、マリア・テレジアが夫の思い出の為に改装しました。北京製黒漆のプレートが壁一面を覆います。
マリア・テレジアは最愛の夫を亡くしてからは、肖像の前で思い出に耽り、一生喪服で過ごしたそう
ナポレオンの部屋
もとはマリア・テレジアの寝室だった部屋で、1805年と1809年の2度にわたるナポレオンのウィーン占領の際、彼が寝室として使用しました。そのため、ナポレオンの部屋と呼ばれるようになりました。
後年は、皇女マリー・ルイーズとナポレオンの子、ナポレオン・フランツが暮らしました。絵はナポレオン・フランツの肖像画。
赤の間
ファン・マインテスが描いたマリア・テレジアの家族の肖像画。女帝マリア・テレジアと皇帝フランツ1世の間に11人の子どもが描かれています。マリア・テレジアの右に立つ赤い服の子は長男ヨーゼフ皇太子。16人の子どもが生まれますが3人は若くして亡くなり、15番目と16番目の子はこの絵が制作された時点では生まれていません!
15番目の子がフランス革命で処刑されるマリーアントワネットです。
他にはこのような絵が飾られています!
立ち姿がどれも格好良い!!
仲睦まじい家族といった印象です✨
マリア・テレジア家族の肖像画
マリーアントワネットの肖像画
シェーンブルン宮殿と庭園群
宮殿内を見学した後は、庭園群やシェーンブルン宮殿を外から眺めます!
当初、シェーンブルン宮殿の壁には金を使用する計画でしたが、財政状況を考慮して黄金に近い黄色にしました。これは、「シェーンブルン・イエロー」、「マリア・テレジアイエロー」、「ハプスブルク・イエロー」と言われています。
宮殿内を馬車に乗って、一周できますよ!
1780年代にマリア・テレジアの長男の皇帝ヨーゼフ2世が、ハプスブルク家の建築物をこの「シェーンブルン・イエロー」で塗ることを定め、その後オーストリアを象徴する伝統的な色となり、鉄道駅や政府庁舎、宮殿・修道院・教会の多くに使われ、富裕市民の邸宅などにも好んで使われたそう。
庭園は1750年、マリア・テレジア女帝と、皇帝フランツ1世夫婦の時代に造園が始まりました。
皇帝家のプライベート庭園である皇太子の庭園・地下室の庭園・日本庭園など見どころがたくさんあります🌹
キレイ~。うちにもこんな庭園があったらな!
次はウィーン歴史地区観光!ホーフブルク王宮、シュテファン大聖堂、オペラ座、ザッハトルテ…いろんなトコへ行きますよ!